

相続放棄を考えている方の多くが「却下されないか」を心配しますが、実際には申述のほとんどが受理されています。
最新の司法統計(令和6年)では、相続放棄の申述の既済件数309,375件のうち、却下されたのは402件(却下率0.13%)でした。(出典:令和6年 司法統計年報 3家事編)
ただし、安心しすぎは禁物です。この却下率には、処分行為をしてしまった結果、そもそも申し立てを諦めたケースは含まれていません。数字に表れない失敗は、却下件数よりずっと多いと考えられます。「ほとんど受理される」のは、あくまで正しい順序で手続きをした場合の話です。次から、相続放棄ができなくなる具体的な場面を一つずつ見ていきましょう。
ほとんどが受理されるとはいえ、一定の事情があると相続放棄はできなくなります。代表的なのは次の5つです。自分や家族の状況に近いものがないか、確認してみてください。
相続放棄は、自分のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内にしなければなりません。この期間を熟慮期間といいます。何もしないまま3か月を過ぎると、原則として相続を承認したもの(法定単純承認)とみなされ、放棄できなくなります(民法921条2号)。
注意したいのは、3か月の数え方です。起算点は「亡くなった日」ではなく、自分が相続人になったこと(相続の開始)を知った日です。たとえば、先順位の相続人が放棄したことで自分に相続権が回ってきた兄弟姉妹などは、そのことを知った時から3か月と考えます。期限が迫っているか不安なときほど、早めに動き出すことが大切です。亡くなったことは知っていても、自分が相続人だと気づいていなかった、というケースもあります。少しでも疑問があれば、3か月という期間を意識しながら確認を進めましょう。
相続放棄の前に遺産を売ったり使ったりすると、「相続する意思がある」とみなされて放棄できなくなります(法定単純承認(民法921条1号))。預貯金を解約して生活費に充てる、被相続人の借金を遺産から返済する、不動産を売却するなどが典型例です。被相続人あての請求書が届いても、遺産から慌てて支払うのは禁物です。
ポイントは、「自分のために遺産を使った・処分した」と評価されるかどうかです。被相続人の口座から引き出したお金を自分の支払いにあてる、車を知人に譲るといった行為は、たとえ少額でも処分とみなされる可能性があります。相続放棄を決めるまでは、遺産を動かさないのが鉄則です。
相続放棄をした後であっても、遺産の一部をこっそり隠したり、自分のために使い込んだりすると、単純承認とみなされることがあります(民法921条3号)。「放棄したのだから少しくらい」は通用しません。
放棄をした後も、遺産の管理は誠実に行う必要があります。とくに、他の相続人や債権者に隠れて財産を処分する行為は、放棄の効力そのものを失わせる重大なリスクになります。形見の品であっても、宝飾品や高級時計のように換金性が高いものは、保管するために持ち帰るとしても、他の相続人と相談し、記録を残しておくと安全です。
家庭裁判所へ提出する相続放棄申述書に不備があったり、必要書類が足りなかったりすると、受理されないことがあります。また、本人の意思に基づかない申述(他人が勝手に行った、認知症などで判断能力が欠けていた)も認められません。
多くの場合は、裁判所からの照会(質問)に答えたり、書類を補ったりすれば対応できます。ただ、期限が迫っている中での書類の不備は致命傷になりかねません。戸籍の収集に時間がかかりそうなときや、判断能力に不安のある相続人がいるときは、早い段階で専門家に相談しておくと安心です。とくに認知症の相続人については、成年後見人を選任したうえで手続きを進める必要が出てくることもあります。
相続放棄は、プラスの財産もマイナスの財産もすべてまとめて放棄する制度です。「借金だけ放棄して預貯金は受け取る」「土地だけ放棄する」といった一部放棄はできません。
そのため、放棄するかどうかは財産と借金のどちらが多いかを調べてから判断することが大切です。プラスの財産のほうが多いのに放棄してしまうと、かえって損をすることになります。一度受理された相続放棄は原則として後から撤回できないため、判断は慎重に行いましょう。財産と借金の全体像が見えないうちは、安易に放棄を決めないようにしましょう。財産調査に時間がかかり3か月で判断できないときは、後述する熟慮期間の伸長を活用する方法もあります。
問題は、悪気なく行った日常的な行為が「処分」とみなされてしまうことです。片付けや家族のためのつもりでも、結果的に放棄できなくなることがあります。相続放棄を考えているなら、次のような行為は避けましょう。いずれも、放棄を決める前にやってしまうと取り返しがつきにくい行為です。
これらはいずれも、「遺産を自分のものとして扱った」と受け取られかねない行為です。とくに賃貸住宅の解約にともなう敷金の受領は、よかれと思って片付けた結果、放棄できなくなった失敗例として知られています。反対に、亡くなった方が契約者だった公共料金の解約や、健康保険・年金の届け出といった事務的な手続きは、原則として処分にはあたりません。
迷ったときの原則はシンプルです。相続放棄を決めるまでは、遺産には手をつけない。これを徹底するだけで、うっかり放棄できなくなる失敗の大半は防げます。すでにしてしまった行為が処分にあたるかどうかは状況によって判断が分かれることもあり、弁護士なら見通しを立てたうえで次の一手を助言できます。迷ったら自己判断せず、必ず専門家に確認しましょう。
「3か月を過ぎたら絶対に無理」と思われがちですが、例外的に相続放棄が認められる場合があります。代表的なのは、被相続人に借金などないと信じ、そう信じたことに相当な理由がある場合です。
たとえば、亡くなってからしばらく経って突然、見知らぬ債権者から督促状が届いたようなケースです。生前にまったく交流がなく、借金の存在を知るすべがなかったような場合には、「借金の存在を知った時」から3か月以内であれば放棄が認められることがあります。熟慮期間の起算点が後ろにずれる、という考え方です。過去の裁判例でも、相続財産がまったくないと信じ、そう信じることに相当な理由があると認められた事案では、例外的に放棄が認められています。
また、3か月以内であれば、家庭裁判所に申し立てて熟慮期間を延長してもらう(伸長)こともできます。財産や借金の調査が間に合わないときは、期限が来る前に伸長を申し立てておくとよいでしょう。
ただし、こうした例外が認められるかどうかは、事情を裏づける資料や説明しだいです。「自分は大丈夫」と自己判断せず、督促状などの証拠を残したうえで早めに弁護士に相談することが、認められる可能性を高めるポイントになります。
万一、相続放棄が認められなかった場合や、期限を過ぎてしまった場合でも、打てる手は残されています。あきらめてしまう前に、次の選択肢を検討しましょう。状況によって有効な手段は異なるため、自分のケースに合うものを見極めることが大切です。
家庭裁判所に却下されても、即時抗告(こうこく)という不服申立てで、上級の高等裁判所に再審理を求めることができます。ただし却下の告知から2週間以内と期間が短く、法的な主張も必要なため、弁護士に相談するのが現実的です。
即時抗告で判断が覆るのは簡単ではありませんが、却下の理由に応じて新たな資料や主張を示すことで、認められる可能性が出てくるケースもあります。期間が短いだけに、却下の通知を受け取ったらすぐに動くことが重要です。即時抗告では、なぜ却下されたのかを正確に把握し、それに反論する主張を法的に組み立てる必要があるため、弁護士に依頼するのが一般的です。
前章のとおり、3か月を過ぎていても事情によっては放棄が認められる余地があります。インターネットの情報だけを見て「もう無理だ」と自己判断してしまう前に、起算点をどう主張できるかを含めて、早めに弁護士へ相談しましょう。
相続人同士で「自分は財産を受け取らない」とまとめたいだけなら、相続分の放棄・譲渡や、取得分をゼロにする遺産分割協議という方法もあります。ただし、これらは債権者には対抗できず、借金(債務)の支払い義務は免れない点に注意が必要です。借金から確実に逃れたいなら、あくまで家庭裁判所での相続放棄が必要になります。手続きの名前が似ていて混同しやすいため、「借金を引き継がない」目的なら必ず家庭裁判所での相続放棄を選ぶ、と覚えておきましょう。

相続放棄をすると、はじめから相続人でなかったことになります。ただし、放棄してもすべてがゼロになるわけではない点を正しく理解しておきましょう。
まず残る義務です。2023年4月の民法改正により、放棄した時に現に占有している遺産(たとえば住んでいた実家)は、次に管理する人に引き渡すまで保存する義務があります。放棄したからといって、空き家を放置してよいわけではない点に注意が必要です。改正前は放棄者の管理義務の範囲があいまいでしたが、現在は「現に占有しているかどうか」が基準とされ、実際に住んだり使ったりしていない財産にまで責任を負うわけではない、と整理されています。
一方、相続放棄をしても受け取れる財産もあります。受取人が指定された生命保険金や死亡退職金は、相続財産ではなく相続人固有の財産なので、放棄しても受け取れます。遺族年金や、仏壇・お墓などの祭祀財産も同様です。
このように、相続放棄は「すべてを手放す手続き」と思われがちですが、残る義務もあれば、受け取れる財産もあります。とくに生命保険金を受け取れるかどうかは、借金を背負わずに生活を立て直せるかに直結する重要なポイントです。放棄を決める前に、何が手元に残るのかを確認しておきましょう。受け取れる財産があるとわかれば、放棄に踏み切る判断もしやすくなります。
最後に、相続放棄が「できる・できない」をめぐって特に多い3つの疑問にお答えします。
社会通念上ふさわしい範囲の葬儀費用であれば、遺産から支払っても相続放棄に影響しないと考えられています。ただし、過大な費用や、香典返しの範囲を超える支出は「処分」とみなされるおそれがあります。
支払った場合は領収書を必ず保管し、心配なときは事前に弁護士へ確認しましょう。なお、香典は喪主への贈与と考えられ、原則として遺産には含まれないため、香典から葬儀費用を支払う分には問題になりにくいとされています。
いいえ、例外があります。借金の存在を後から知ったなど相当な理由があれば、知った時から3か月以内に申述して認められる場合があります。過ぎたからと諦めず、督促状など時期がわかる資料は捨てずに保管したうえで、まずは弁護士などの専門家に相談することをおすすめします。
できません。相続放棄は財産も借金もまとめて放棄する手続きで、「借金だけ」「一部だけ」の放棄は認められません。なお、プラスの財産の範囲内で借金を引き継ぐ「限定承認」という別の制度はありますが、相続人全員でそろって手続きする必要があり、利用されるケースは多くありません。
相続放棄は、要件を満たして正しく手続きすればほとんどが受理される一方で、熟慮期間(3か月)の経過や遺産の処分があると「できなくなる」という二面性があります。
失敗を防ぐ最大のコツは、相続放棄を決めるまで遺産に手をつけず、3か月の期限を意識して早めに動くことです。判断に迷う行為があるときや、すでに期限が近い・過ぎている場合は、自己判断で諦める前に相続にくわしい弁護士へ相談しましょう。とくに借金がある相続では、対応が一日遅れるだけで選べる手段が狭まることもあります。
相続放棄は一度受理されると、原則として撤回できません。だからこそ、手続きの前の行動と判断が何より大切です。少しでも不安があれば、弁護士の力を借りて、確実に進めることをおすすめします。
